Vol.30 性行為が痛い、のは我慢しなくていい

性行為は痛い。痛いということを、知らなかった。

痛い、と言ってはいけないと思っていた。でもどうしたって、痛いでしょう。あれは。最初ならとくに。でも、こんなにも痛いなんて知らなかった。痛いわたしがおかしいのか、何らかの対処を、わたしはわたしひとりで考えなくてはいけないのか、と思って、ひりひりする外陰部に、オロナインを塗ったことがあります。わたし。他に、塗るべきものが見当たらなくて。誰にも相談もできなくて。

たぶん、しばらく性行為をしなかったら痛みはひいたかもしれない。赤くただれたところも、擦り傷みたいになったところも、ゆっくり治ったかもしれない。でもできない。

「痛いから今やりたくないんだけど」と相手に言うことができない。痛い、というのも、今やりたくない、というのも、両方とも言うことができない。痛いのも、今やりたくないのも、あなたのことが嫌いということでは全然ないのだけれども、痛がらせてしまったことを申し訳ないと思わせたくない、という気持ちがあって、だから痛いということを言わないほうが、相手を傷つけないような気がして、わたしの「痛い」ぐらいは我慢していればいい。そんなふうに思ってしまう。

痛い、という言葉が、相手を責めているように、相手は捉えるかもしれない。そうしたら、不機嫌になるかもしれない。面倒くさい女だと思われてしまうかもしれない。それも怖い。

「今、性行為をやりたくない」のは「どこもさわれられたくない」ということではない。それも、うまく言えない。性行為はしたくないけれども、ハグしたり、ふれあったり、ふたりでごろごろ寝転んだり、そんなことはしていたい。でもハグしたりふれあったりしたら、性欲というのは暴走して、それなのに性行為ができないなんて、生殺しみたいなものだから、できないのなら余計なスキンシップはしたくない、と言われるかもしれない。もてあました性欲を、ほかの誰かどこかで発散すると言われてしまうかもしれない。お前がしたくないと言ったのだから仕方ないだろう、と冷たく言われてしまうかもしれない。

なんで痛いんだろう。なんで気持ちいいと思えないんだろう。なんで何も楽しくないんだろう。でも仕方ない。性行為の間、我慢していればいいんだし。オロナインで、しのげないことはない。たぶん。目を閉じて我慢していれば、終わる。終わって、相手がすっきりすれば、なにごともなくわたしたちは、仲良くやっていける。でも痛い。赤くただれた外陰部が痛い。

痛いって、言ってもいいんでしょうか。

いいでしょ。いいに決まってるじゃないですか。だって痛いんだもの。性行為って、ふたりでするものでしょ。

「痛いので、すこし待ってください。でもわたしがあなたのことを好きであることにかわりはなくて、だからハグとかはしたいんです。ふたりでごろごろ寝転んで、キスしたり愛情を確かめ合ったりしてそれで。やっぱりもっと深く触れあいたいなとお互いになったら、潤滑剤を試したりしながらゆっくり、お互いに心地のよい性行為のかたちを探していくというのはどうでしょう」と言っていいに決まってるじゃないですか。

そういうことを、かつて泣きながらオロナインを塗って、性行為は黙って我慢するしかないと思い込んでいた若い頃の自分に言ってあげたい。

ライター:神 敦子

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