イチブンノイチ物語① 飲み込んできた言葉の種

27歳で、第一子を出産した。
初めての育児は、想像していたよりずっと孤独だった。
夫の転勤について来た土地には、知り合いもいない。
昼間、赤ちゃんと二人きりで過ごす時間が、
日に日に長く、重く感じられるようになっていた。

少し落ち着いた頃、
私は「働きに出たい」と思うようになった。

誰かに評価されたいとか、
キャリアを積みたいとか、
そんな立派な理由ではない。

ただ、
この家の中だけで終わらない自分でいたかった。
「お母さん」以外の自分が、
静かに消えていくような感覚が怖かったのだと思う。

勇気を出して、その気持ちを夫に伝えた。

返ってきたのは、
「子どもが小さいうちは、お母さんがそばにいた方がいいんじゃない?」
という言葉だった。

責められたわけでも、怒られたわけでもない。
むしろ、とても“正しいこと”を言われたような気がした。

だからこそ、
何も言い返せなかった。

胸の奥に、もやっとしたものが残った。
でもすぐに、
「私がわがままなのかな」
「みんな、こうやって我慢してるのかな」
そうやって、自分の気持ちを引っ込めた。

本当は、悔しかった。
悲しかった。
でもそれを言葉にしたら、
家庭の空気を壊してしまう気がして怖かった。

ケンカになるくらいなら、
私が我慢すればいい。
そう思って、自分を納得させようとした。

当時の私は、専業主婦だった。
収入もなく、社会との接点もほとんどない。
性のことも、フェムケアのことも、
考える余裕すらなかったと思う。

どこかで、
「結婚したら、ある程度は夫に従うもの」
「専業主婦なんだから、自分の希望は後回し」
そんな考えを、当たり前のように抱えていた。

それが誰に教えられたものなのか、
いつ刷り込まれたのか、
そのときの私は考えもしなかった。

今だから、わかる。

あのとき、喉の奥で飲み込んだ言葉。
「働きたい」という、あの小さな声。

自分の人生を、
どう生きたいかを選ぶこと。
その権利を、私は自分で手放していた。

社会的な固定観念に縛られていたのは、
周りの人だけではなかった。
何より強く縛っていたのは、
「そういうものだ」と思い込んでいた私自身だったのだと、
今は思う。

当時のこの違和感にSRHR*という名前があることを知るのはまだだいぶ先のこと。
でも確かに、ここにあったのだ。

*SRHRとは、「Sexual and Reproductive Health and Rights」の略で、
「性と生殖に関する健康と権利」と訳される。
これは、すべての人が性や身体について適切に学び、
自分の意思で安全な選択(避妊、妊娠、出産など)ができ、
尊厳と健康を守れる権利を指し、
基本的な人権の一つとしてWHO(世界保健機関)なども推進している概念。

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