Vol.11 尿は、もれます。
尿は、もれます。
今さらで恐縮ですが、ドラマ「逃げるは恥じだが役に立つ」略して「逃げ恥」について言いたい。
「逃げ恥」は、主役のふたりがほんわかいちゃいちゃしている様子がほほえましく、しかもその後リアルに結婚したという話題があったり、「わたし、仕事嫌いじゃないけど、なんだろなこの扱い」という日常のもやもやに「それはやりがいの搾取だ」と言ってくれるなど、社会的に蔓延している「なんだかへんだよね現象」に名前をつけてくれたり、多種多様なひとたちが織りなす多種多様な悩みに、わかるわかりすぎるーと叫びたくなったり、そんなことを思ったりするんだね、全然気づかなかったよと申し訳なくなったり、そらもういろんな感情が巻き起こる、きゅん、だけじゃないドラマなのですが、わたしが今回一番言いたいところは、尿もれである。尿もれなのである。
新春スペシャル版で、妊娠したみくりちゃん(ガッキー)が「尿もれても一人」と尾崎放哉のパロディを口ずさみながら、パッドをかえるシーンがある。
尿もれという言葉が、あんなにも自然に、日常の風景のひとこまとして、若い女性が自分ごととして発するドラマが、いまだかつてあっただろうか、いいや、ない。
なんだろう、尿もれが市民権を得た。そんな感慨が、その瞬間あった。
尿は、もれるんです。
尿は、もれるんですー。
妊娠後期のみくりちゃんの尿もれは咳によってだったけれども、わたしの場合は嘔吐だった。前期も後期もなく、十月十日ほとんど毎日何か吐いた。
嘔吐全盛期は、最悪だった。
「う」と口を手でおさえながらトイレにかけこむ次元のかわいらしさではなくて、トイレに頭をつっこんで、演歌歌手がこぶしをきかせているような「お・え・え・え・えー」と腹から力をこめて出す野太い声とともに、胃の内容物をしぼりだす。ごはんをほとんど食べていないのに、何か出そうと体がするので、胃液までしぼりだす。
この「お」の次の「え」ぐらいで、「え・え・え」と力をこめるたび尿がちょろではなく、どばどばともれて、尿漏れパッドの存在は知らず、生理用ナプキンでまかなった。
尿だけではなく、涙と鼻水とよだれと、あと汗なのか脂なのか、もうどっちでもええわ、みたいなねとねとしたものが全身からふきだして、あとはひからびたわたしだけがトイレに残るのであった。
ああ、でも水ぐらいは飲まねばならん。何か食べないとならん。そしてまた胃を刺激して吐き、またもらす。
そして今、妊娠の兆しなどない中年の現在、咳による尿もれはまだセーフである。
くしゃみもとりあえず問題ない。
嘔吐も「う」ぐらいならこらえられる。
しかし、「お・え・え・え・え」までいくと危ない。
ウィルス性胃腸炎で、トイレに駆け込み、胃をしぼりながらウィルスを排出しなければならないようなときは、尿がもれる。それで寝る前に、骨盤底筋をきたえるトレーニングを人知れずする。膣をきゅっと締めるといいらしい。
それでもいつ尿がもれるかもしれないという心配はつきない。尿がもれたときの、あのぞわぞわした感覚が忘れられない。
尿がもれるのは、赤ちゃんか。
もしくは、恐怖におののく小学生か。
自分を律することができないひとか。
排尿してよい場所を判別できないひとか。
トイレに行きたくなる前に行かなかっただけの見積もりの甘いひとか。
とにかくいいおとなはもらすことはないとずっと思っていた。
いいおとなってなんだ。
でもなあ。意志じゃないんだよなあ。
突発的に、わ、でた、みたいな感じなんだよなあ。
意識でどうにかできるものじゃないんだよなあ。
なんていうか、おならとかげっぷと同じで、体の機能がちょっとゆるんでしまう感じ。
長年使った蛇口がちょっとゆるんで、きゅっと締めても、しずくが落ちたりしちゃうよね、という感じ。
仕方ないよー、築年数でいったら四十年こえてるものー、あちこちいろいろ出てくるよー、でも困るよね、しずくが落ちるぐらいならいいけど、突然どばっときたら、大変だものね、とそんな話を誰もしてくれない。
しなくてもいい。ま、したくないわ、そんな自分の尿もれの話なんぞ。
わたしもしたくない。だってやっぱり恥ずかしいではないか。尿がもれたことなんて。おならやげっぷと違って、液体としてその場にとどまるから、それを処理するところまでも話さなくていけないところが、なんとも生々しくて、おならやげっぷなら、軽やかに笑ってもらえるような話を、尿もれとなると、笑ってよいのか、大変だねと言ってよいのか、相手を困らせるようで、気もひける。いや、笑ってください。涙と鼻水とよだれと同じと思ってください。
言ってもいいかなと思ったのである。
みくりちゃんが言ってくれて、あ、わたしひとりじゃない、と思ったのである。
言ったところで、尿もれがなんとかなるわけではない。
でもわたしが言えば、誰かが「実はわたしも」と言ってくれるかもしれない。
言ってくれなくとも、「実はわたしも」と思ってくれるかもしれない。
そうしたら、ひとりじゃないってすてきなことね、とそのひとの心がほんのすこし軽くなるかもしれない。そんなところに、「実はあのね」の効果があるのかもしれない。
なら、わたしは喜んでその一端を担う。
尿は、もれます。
わたしの尿も、もれますー。
ライター:神 敦子
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