おとなの交換日記 エピソード3

ともちゃん。

マトリックス、なつかしい! キアヌ・リーヴスの真似、はやったよね。背中うぃーんってそらせながら、弾をよけるやつ。あとコートを無駄にひるがえすやつ。

ネオのそのシーン、自分が当然だと思っていた現実が、実は誰かによって作られたものだったって気づく、っていう解釈であってる?

「自分の人生は自分のものだって改めて取り戻してきたような気がする」ってともちゃんの言葉、なるほどなあ。

なんでだろうね、全部自分で決めてきたはずなのにね。ずっと自分の人生だったのにね。どこにいってたんだ、おかえり。

妻になるのも、母になるのも、選んだのは自分なんだけれども、どういう妻で、どういう母でありたいのか、どういうのがいいのか、そのあたりよくわからないままここまできた感ある、わたしも。見よう見まねで、空気を読みながら。

誰も正解を教えてくれないし、正解、ないもんなあ。本やネットで調べてみるけど、えー、そんなの聞いてなかったですーの連続で。

なんとなくその状況に慣れてきても、状況なんてぐんぐん変化して。え、そんなことなる? 起こる?ってなる。なんていうの、二次関数が三次関数になって、グラフがぐるぐるまわって、途中折れたりする感じ。えっと、超文系なのに、理系っぽいたとえばなしを出してみた。(ちなみにわたしは、ぐるぐるまわらなくても、関数なんて超苦手)。

夫、そんなこと言う、とか。

子ども、そんなことする、とか。

そうなの。最初は、自分で選んでるのよ。でもいつの間にか、自分が消えていくのよ。

自分が好きなものじゃなくて、夫が好きなものを夕飯につくる。

で、子どもが産まれる。そしたら、子ども用と夫用の夕飯をつくったりする。

テレビが一日中Eテレばっかりでもいい、オフロスキー大好きだよ。

義父母が喜んでくれたらうれしいし、仕事場のひとたちのモチベーションも大事だしとか、そんなことも、ごく自然に思う。

うん。それでいいよ。ね、それでいいって、本当に心から思っている。

が、それでいいんだよね、それが君の幸せだよね、とひとに言われたら、なんでお前が言うねんってなるよね。

いや、誰も言ってないんだけど。

でも醸し出す空気がね。あなたは、こっちがいいんですよね、こっち選びますよね、それがあなたの生きる道ですよねって、言われているような気がして(誰に、夫、子ども、義父母、もしくは社会かな)、勝手にわたしが忖度しただけなのかな。家族への愛情を試されているというか。愛があるならできるだろ、みたいな。愛ってなんだ。

そういえば、若いひとたちって、共同財布っていうやりかたを取っているって聞いて。給料の一部をふたりのものとして使う、それ以外は自分のもの。おおお、それは新しいなって。

わたしの知ってる共働きのあり方って、たとえば夫の給料は生活費全般、妻の給料は貯金、もしくは旅行や冠婚葬祭などの臨時出費にあてるとか。自分のお小遣い。もしくは生活費の補填。

夫が給料を管理して、一定の生活費を妻に渡すっていうのも聞くよね(ただこれは、子どもが成長しても夫からもらえるお金が増えなくて、経済的DVになりがちだった)。

どちらにしても、共同財布っていう概念は、わたしたちの時代にはなかったなと思って。

それなら、働くことに遠慮はいらないなって。

しかしだね。

今度は、いついかなるときも、払わなければいけないのではという心配を勝手にしていて。

だって育休で収入がないときは、貯金くずして共同財布にお金をいれてたとかいうひとがいたから。

そんでもって。

一番びっくりしたのは、出産のことなんよ。出産は女性のことだから、出産にかかる費用は女性側が出す、という考えがあるってことなのよ。

夫側だけじゃなくて、妻側も、「そりゃそうでしょ、わたしのことなんだもん」ってなることもあるとかで、もしかしたらこういう考えは、ごく一部のご家庭なのかもしれないし、ここは交渉次第なのかもしれない、でも、交渉する対象なのかっていうのにもびっくりしたんよ。

いや、わかるよ。

分娩台にのるのは女性だよ。でも出産って、そんな、お稽古ごと、みたいな。個人の楽しみみたいなものと一緒なのか。いや、違うだろう。

こういうご家庭は、不妊治療はどうするんだろう。夫理由の不妊だったら、夫側が出すの。赤ちゃんが欲しいのが義母だったら、義母が治療代を出してくれるの。赤ちゃん欲しい、っていうひとがお金を出すものなのか。欲しいって言ったよね、払ってよね、とかやりとりするのかな。なんか、書いていてどんどん悲しくなってきた。

結婚を、妻と夫の対等な制度、としたらそうなるのか。いや、ならんやろ。

でも経済的に自立していたら、いつでも離婚できるからいいよね。え、じゃあ、結婚しなくてよくない?

結婚って、なんのためにするんだろうねえ。メリットデメリットで、するものなんだろうかねえ。だからって、愛だけでめでたしめでたしとはならないことも、もちろんわかってるし。

その一方で、姓を選択できるなら、結婚したいっていうひともいたり。同性でも結婚できたらいいのにと願うひとたちもいたり。

ああ、ごめん、話があっちこっちいっちゃったわ。

ともちゃんが書いてくれた「こういうの、男性にもあるんだろうか」なんだけど。わたし、あると思う、男性がかけられている呪いみたいなもの。

「責任」とか。「強く正しくあれ」とか。

アルマゲドンのアメリカンヒーローみたいな。男性って、そういうふうにあるべきっていうのを、わたしたちが思うよりもくっきりとどっしりと、男性は背負わされているんじゃないかなと思う。

年配の男性が「喫茶店でパフェを食べてみたかった」っておっしゃっているのを聞いたことがあって。

「え、そんなん好きに食べたらいいやん」ってまわりのひとはきょとんとしてたんだけど。男性たるもの、かわいいもの、愛らしいものをひとりで食べるのはかっこわるい、っていう呪いもあるんじゃないかなあ。

前にね、「女は制服がかわいいから、とかで進路を選べていいね」という趣旨のSNSの書き込みをみたことがあるんだけど。

わたし、これかーって思ったの。「なよなよした浅知恵で生きていくことを許されていらして、女って立ち位置、よろしおすね」っていうとげを感じて、なるほど、男性はそういうことを思うのかーって腑に落ちた。

そこには、「かわいいから、楽しいから、好きだから、嬉しいからとか。そういう刹那的な感情でもって、人生を判断することを許されていないんだ俺らは」っていう、悲痛な嘆きがあって。

なんかこう。なんだろね。

制服で進路を決める女子がすべてではないし、でも一定数はいるんだと思うし、その一定数が、制服では進路を決められない男子をイラつかせているのだと思うし、じゃあ君らもそんな怖い顔せんと、制服で進路決めたらええやんとかいうのとは、全然違う話なんだろうと思う。

男性も同じように、時代とか環境とかに「その人生を選ばされてきた」っていうの、あるんじゃないかなあ。

まったく同じじゃないかもしれないけれども、同じ何かがあるんじゃないかなって。

もちろん、その「制服で進路を選ばない」ことを、最終的に決めたのは男性自身なのかもしれないけれど。

話がぐるっと戻るけど。

自分で選んできたことではある。この人生。

そりゃ自分が選んで、だからみんな、ここにいるわけなんだけど。

でもね。だからってね、なんかこう、選んだ、というよりも、選ばされてきた。かもしれない事情をまるっと無視して、そういうこと言う、あなた、みたいな気持ちに、ちょっとなったりする、わたし。

これ以外を選んでも、選んでいたとしても、本当に君たちは許してくれるのか、いいねって歓迎してくれるのか、かわらず接してくれるのか、好きでいてくれるのかって言いたい。安心して選ぶ環境を、まずくれよ、って言いたい。

なんなら、どっちも選ばせてほしい。

夫も子どもも大事だから、それを大事にし続けるためにも、同じぐらい自分も大事にしていたい。大事にしてほしい。

夫とサッカーを観るのも好きだけど、本当はドラマが好きだったわたしとか。フードコートでうどんじゃなくて、チゲが食べたいわたしとか。どっちもわたしなんだよ。どっちも大事なの。うどんなわたしも、チゲなわたしも、同じぐらい大事なの。チゲなわたしになる時間を、わたしが選ぶことについて、世界中に許してほしい。うどんだけを食べろとか、言わないでほしい。

又吉直樹さんの「劇場」っていう小説で、主人公の恋人の女の子が、アイドルグループのライブDVDを観るシーンがあってね、こんなん好きやったんや、知らんかったって主人公が驚くんよ(読み手も)。わたし、そのシーンでいっつももう、本当に泣きそうになる。

好きやわ、ずっと好きやったわ、もっとたくさん、好きなものあるわ、言ってなかったけど! 言えなかったけど!って叫びたくなるんよね(知らんけどね! なんも書いてないからね!)。

別にさ。

結婚のために、仕事を辞めるのがいやだったわけじゃない。仕事を辞めさせられたって思っちゃうのがいやなんだよ。

チゲを食べられなくてもいいの。でも、あ、チゲ食べられないんだなって思うのがいやなの。

なんか大事MANブラザーズバンドみたいなことを言うてもうたわ。

長々と書きすぎてごめん。

そういえば昨日スーパーで買い物してて。そしたらアロハ柄のズボンを履いた男のひと(推定62歳)が買い物してて。なんかごきげんな夏仕様だなあ、カート位置近いなあって思ってたんだけれど、男性のカートがごつんってかかとにぶつかってきて、うげ、ってなったら、振り返る前から「うあ、すみません」って謝られた。普通のことなんだけど、ちょっと感動したよ。

まだまだ暑い日が続くから、体調に気をつけて。

熊本の地震も、千葉や北陸の豪雨も、いろいろと本当に心配。

追伸

ともちゃんのところが神保町だから、写真は、おすすめの本を好き勝手に並べることにした。

夏といえば、読書感想文だから、今回は「モモ」。わたし、学生の時、感想文の本に困ったら「モモ」で書いてたわ(たぶん、二回ぐらい「モモ」の感想文を書いた)。これ、ハードカバーの装丁もめちゃめちゃおしゃれなの。今もあるのかな。

好きなシーンがたくさんあるんだけど、推しシーンをどうしても三つに絞るとするならば、ひとつはホラの家で食べる朝ごはん。おいしそうすぎる。

ふたつめは、好きなところじゃないけれど、完全無欠なお人形、ビビガールとはどうしたって遊べないところ。

みっつめは、道路掃除夫ベッポがモモに、長い長い道路を掃除するこころもちについて語るところ。わたし、何かとてつもないこと、それがたいしたことじゃなくても、自分にとっては途方もないと思うようなこと、に挑むようなときには、いつもベッポのセリフを思い出す。とりあえず、目の前の一歩。

「モモ」の映画もおしゃれだったなあ。

ライター:神 敦子
神敦子#note#
https://note.com/jinatsuko