Vol.1 生理のおはなし

小学校のときの、女子だけ視聴覚室に集められて、「いまからみなさんに大事なからだのお話があります」というあれについて、そこで得た知識をあまりおぼえていない。
 
生理について、なんとなく、ぼんやりと、知っていたような気がするけれども、母親とそんな話をしたおぼえもないので、何発信の知識なのか、よくわからない。たぶん、ともだちとか、「りぼん」とか発信のそれなのだろうけれども、「りぼん」で生理特集が組まれていたわけでもなくて、ストーリーのはしっこあたりに、「あ、わたし今日生理だから」とか「ナプキン貸して」とか、そんな台詞があったから、「生理っていうものがあって、ナプキンっていうものが必要で」ぐらいの知識であって、同じものを読んでいたともだちと情報を交換しても、生理に対しての知識は深まりも広がりもしなかった。情報源が同じ「りぼん」なのだから、しかたない。
 
お姉ちゃんがいるともだちも、お姉ちゃんと生理の話をしていたわけでもなくて、トイレのとだなにナプキンがある、便器の裏にちいさなゴミ箱がある、姉と母の会話を鑑みるに、ふたりはこそこそとそれを活用しているらしい、ということに最近気づく、ぐらいの知識しかなくて、それはまあたしかに、言われてみたらうちにもあるなあ、ぐらいの差異でしかないのだった。
 
生理は、便が出る穴でも尿が出る穴でもない、自分のからだにあるのに、自分では把握できていない穴から、血が出るのだ、ということはなぜか知っていた。初潮というものが唐突にやってきて、風呂場でそれをむかえれば血は水に流れるけれども、そうでない場合ほぼ間違いなく下着を汚さなければならないと知ったときは、こわ、と思った。下着だけじゃなくて、スカートや布団を汚すこともあると知った。いや、汚す前に、ナプキンをつけて備えればよいのだけれど。初潮であっても、おりものが増えるとか、胸がふくらむとか、それなりの前触れはあって、でもそんなことは誰も教えてくれなかった。汚れる覚悟をするしかなかった。

そしてそれは、一度来たら、毎日起こるものだと思っていた。毎日。死ぬまで。ずっと生理。

毎日、自分では把握できていない穴からの出血を、なんとか処理していかなくてはいけないことは、心底恐怖だった。願わくば、永遠に初潮とやらを迎えたくない。お赤飯などでごまかされたくない。その知識が何発信のものか、全然覚えていない。あっちやこっちでちょこちょこ得た知識の断片を、わたしが無理やりくっつけてつくりあげた物語なのだと思う。

その思い込みが、視聴覚室での「生理のおはなし」で上書き更新されたことは、たぶんよかった。ともだちは、生理というものは、一生に一度しかないもので、ちょっと血が出たら、あとは永遠に来ないのだと信じていたらしく、「生理のおはなし」後に「一度来たら毎月ずっとあるのか」とがっくりしていた。どちらにしても、生理はいつまでも来ないでほしいよね、めんどくさいもんね、と視聴覚室から教室までの廊下で、小学生のわたしたちの意見は一致したのだった。

「生理のおはなし」で教授された知識は、ほとんど覚えていないけれども、そのときの先生たちのようすとか、「女子だけ廊下に並べ」と言われたときの教室のざわめきとか、戻ったときのきまりわるさは、くっきりと覚えている。

男子は、体育館で「自然学校のアスレチックについての話を聞いた」という。で、女子は、と本当に純粋に好奇心から問われるのだけれども、別に、としか答えることができなくて、先生の詰めの甘さを呪った。自然学校のアスレチックなんて、全体で話せばいいことじゃないか。もうちょっとあるだろうよ、男子と女子と、別れて話さなくてはいけないことが、男子にも、必要な何かデリケートな話があるんじゃないのか、知らないけど、わたし男子じゃないから。適当にごまかせると考えているのだとしたら、小学生男子をなめていると思った。うまいこと男子の追及をかわせよって女子に丸投げしてくるあたりも無責任だと思った。

もしくは、さらっと「うん、生理の話だよ」と言えばよかったのだろうか。あのとき、わたしたちは先生に口止めされただろうか。それも覚えていないけれども、ただ先生たちからは、わざわざ男女わけて話していることに、なんの意味があるのか、それをちゃんと考えなさいよ、と言われているように思った。

たぶん先生も、いっぱいいっぱいだったのだろう。「生理のおはなし」のときの、先生たちの緊張したおももちとか。いつもみたいに自信たっぷりの、声を張り上げる感じじゃなくて、のどがきゅっと詰まった感じの、ちょっと早口のしゃべりかたとか。やらなきゃいけないからやるけどね、本当はこんなこと、どうしたらいいのかわかんないのよ、わたしたちも、というのが、びしびしと伝わってくるあの端切れの悪さとか。

それでも先生が、大事なことだから、二回言うわよ、あのね、ぐらいの気概をもって、もしくは、女子には生理というものがありますが何か、ぐらいの自然さで、それを伝えてくれていたら、たぶん何か、わたしの中で生理を迎えるにあたっての心持ちが違っていただろうにと今も思う。

そしてそれは、男子が一緒に聞いてくれても、男の先生がその場にいてくれても、もちろん全然かまわない。

ライター:神 敦子

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