Vol.27 神保町を歩く

文具を取り扱う大きな店:文房堂さん

先日、所用があって新幹線で東京に行った。

東京に一年ほど暮らしていたことはあったけれども、東京駅というところをあまり知らない。

東京駅の真ん前に、皇居があることを知らなかった。皇居がこんなにも大きく、まわりにお堀があり、竹橋とか新橋とか千鳥ヶ淵とか、そういった歌詞や小説なんかで聞いたような地名が本当にあることを知った。

東京から皇居まで歩き、神保町まで歩けることを知らなかった。

神保町は、本当に本の街だった。文化のある街だった。昔ながらの喫茶店があって、カレー屋があって、古本屋があって、アーケードのない商店街があって、文具を取り扱う大きな店があった。全然知らなかった。

イチブンノイチは、通りの角にあって明るい。せっけんか何かのいい匂いがする。はじめて手にとってみた膣トレーニングの道具に重みがあって驚いた。

昔ながらの喫茶店で口周りをオレンジにさせながらナポリタンを食べて、文具を取り扱う大きな店で画材をひやかした。そういえば、上の娘が誕生日にイラスト用の色ペンを欲しがっていて、でもこんなにも世界には色があって、色というものにこんなにうつくしい名前があることを、わたしは知らなかった。知っていたけれども、知らなかったといつも思う、画材をみると。

それから。

思いがけない店の看板を発見した。

「ナンジャモンジャ」というカードゲームがあるのだけれども、カードには頭と手足だけの不思議なお化けのようなものたちの絵が描かれていて、それに好きなように名付けていく、前出のお化けが出たら前出の名前をみんなで呼び合うというもの、それだけなのだけれども、名付けにはセンスが問われるし、子どもの頭の柔らかさは大人に太刀打ちできなくて、子どもだとか大人だとか全く関係なくものすごく盛り上がって、末娘が友達の家でのめりこみ、「ちょっと貸してあげるよ。持って帰ってやっていいよ」と許可をもらい、家でもさんざん遊び、ついに去年サンタさんがうちに持ってきてくれたというものがあって。通りを歩いていて、その店を偶然発見した。あれを作ったお店、こんなところにもあるのか。神保町、深い。

ブックホテルというところに泊まったのだけれども、それも面白かった。

各階に「恋愛」とか「旅」とかテーマごとの本があって、本には愛のあるポップがあって、部屋にも本とポップがあった。枕元にも棚にも本があった。

本は好きだ。本の何が好きかというと、たぶんわたしは、本というものの紙の手触りとインクの濃淡と、そういうところが好きなのだ。

それから、書き手だけではなく、挿絵を書いたひとと、装丁を考えたひとと、文字送りや余白なんかを決めたひとと、印刷所のひとと、製本に携わったひとと、本を本屋さんに運んだひとと、ほかにももっとたくさんのひとの手が重なって、今ここにあるのだということを実感できるところも好きかもしれないと思う。そうやって運ばれてきたものがここにあって、今こうやって手にとれることが嬉しいのかもしれない。これをわたしが手にとっているように、今、これを、誰かが同じように読んでいるかもしれない、今じゃなくすこし昔、もしくはすこし未来、同じように誰かが読んだ、もしくは読む、そう思えることに、意味を見出しているのかもしれない。

ポップの手書きの文字から、ポップの書き手がここに愛をこめたのであろうということがわかって、そのポップは世界でひとつしかなくて、そのポップで飾られた本が誇らしげにみえて、そういうことがいちいち眩しかった。ああやっぱり本というものが好きだ。

そういうことを、神保町で思った。

ライター:神 敦子

神敦子#note#
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