Vol.28 「国立大に女子枠が導入されるらしいけれども、女子枠で入ったと思われるのは、嫌なんだ」という女の子におくる

Equality and Equity Concept Illustration. Human Rights, Equal Opportunities and Respective Needs. Modern Design Vector Illustration.

国立大4割に「女子枠」入試に導入「男女比偏り是正」というニュースを新聞で読んだ。

「女子枠だから合格したと思われるのが嫌で、女子枠のある大学は受けたくないという生徒もいる」という国立大理系への進学者も多い私立女子高の教諭のことば、というのがあって、なんというか、高校時代の自分が急激に思い出されて、あああ、なんだかわかるなあ、となったのであった。

中学と高校を女子校で育った。

女子校は、ある視点からいえば、もうパラダイスであった。

あんなにも性差のない世界はなかった。女子であったけれども、女子として扱われていたとは思わない。まわりがみんな女子なので。

女子扱いというのが、いまいちよくわからない。

演劇部であったのだけれども、舞台に使う大道具を、角材やベニヤ板をのこぎりで切り釘を打ち、自分の身長よりもどでかい装置を作り、暗転中に静かに移動させて配置するというのをした。照明の設置もした。何か壊れれば修理もした。巨大な板を組んで作るコーラス用の舞台設営も行った。

嫌いなひとは無論いた。巷で「女子っぽい」といわれるような「ねちねち」とした幼いひともいたけれども、女子だからではなくて、ひととして嫌であった。「ねちねちしたひと」として、嫌であった。

学校内では、男の先生も幾人かいたし、今思うと、やたらと大声を出して威嚇してくるような、自分の気に入る生徒だけをかわいがるようなひともたくさんいたけれども、それはやっぱり、「ひと」として嫌であった。男だから嫌というのではなくて、「ひと」として嫌。女の先生だって、そういう「ひと」はたくさんいた。

男性に対する知識はたしかに欠けていた。父親しか知らん。電車の中の痴漢しか知らん。塾でいつも一緒になるような男子に、どのぐらいの温度であいさつを交わしてよいのかとんとわからん。男子の扱いが、よくわからない。男子の生態がわからない。だからちょっとしたコンプレックスが(おもに共学女子に対して)あったりした。

恋愛偏差値が低いことは否めないけれども、数字として出てくる模試の偏差値については、共学校とも男子校とも互角に渡り合える。と、確信していた。男子と比べて何かが劣っているとも思わないし、何かができないとも思わない。

のだよね、と当時の自分が重なるのだった。

わたし、「ひと」として戦っていけるもん。そんな下駄はかせてもらわなくても、大丈夫だもん。むん。むしろ、そんな下駄をはかせてもらって入学してくるようなやわな女子大生を、「ひと」として軽蔑する。むん。

注 むん、のところは、鼻息を「ふん」としながらあごを突き出して読んでいただきたい。

違うのよー。

どうやって入ったかなんて、誰も、だあれも気にしないのよー。まあ、入った瞬間はあれこれ言うひともあるかもしれないけど、歳とったら誰も気にしないよー。そもそも誰もそんなこと興味ない。きみ、女子枠で入ったんだって、とか。誰も言わない。思わない。気にしなくてよし。ていうかね、そんなことを言ったり思ったりするような器のしょぼいひとは、あなたのことを不当に妬んでいるんだけなのです。百パーセントそうです。不当な妬みに対して、「わたし、めっちゃ頑張ったのにー」とかぐじぐじ悩むのはかけがえのないあなたの時間がもったいないので、もう全然気にすることはないのです。「ソーデスネー」と無表情で返しておけばいいのです。

逆男子差別て。そもそも男子って、もうずっと前から下駄はかせてもらってるよね、とわたしは思っておるんです。こんなこと言ったら、ものすごく狭量のおじさまが通りすがりに怒鳴ってくるかもしれないから、だからひそひそと聞いていただきたいのですけれども、女子だからということで諦めてきたたくさんのことをが、そもそもたくさんあるんですもの、女子には。男の子だから勉強なんてしなくていいのよとか。男の子だから浪人しちゃだめとか。男の子なんだから、大学も実家から通って、結婚しても家の近くに居を構えて、仕事も家の近くで適当に選んで、ゆくゆくは親の介護をしてちょうだいねとか。あんまり言われたことないのじゃないでしょうか。(男子は男子で、男子カーストがあるから、長男下駄とかあるかもしれない。でもそれはまた別の話です。)

そりゃ、偏差値やら受験には、男女は関係ないですよ。点数だけがすべての世界ですよ。そこに女子優遇なんて、話のすりかえじゃんと思うひともいるでしょうよ。でも、そもそも教育にお金をかけてもらえないのですよ、女子は。女子に学歴なんかいるか。女子は塾なんかいかんでええんや。東京の私大に行ったお兄ちゃんの学費やなんやと弟の塾代だけでうちはいっぱいいっぱいなんや。お前は家から通える手直な短大で我慢せい、家政科か英文科しかないて、別にええやないか。学部なんか選ぼうとするなとか。言われていたりするんですよ。女の子が数学なんてやってどないするんや。数学やるぐらいやったら、簿記をしとけ、どっかの事務職で雇ってもらえるからとか言われたりするんですよ。

それでもね。なんで女のくせに勉強するんだという家族からの静かな圧の中、勉強して、頑張って国立大学理工系に入るでしょ。入ったそこは男子だらけなんですよ。中高一貫男子校で、ものすごく教育にお金をかけてもらって、それが当たり前だと思っている男子社会しかしらない男性教授が率いる男子ばかりのゼミですよ。知らんけど。男子というのがひとであって、ひとは男子であって、それ以外はひとではないんですよ。知らんけど。

そんなとこに女なんか要らんですよ。きみあれね、ああ、あれですね、で通じてきたのに、女の子突然ぽんて。そらもう女の子にしてみたら、毎日が圧迫面接ですよ。あれがわからんなんて、めんどくさ、って古株の男性諸君にいやな顔をされますよ。されて傷ついて、わたし、なんでこんなとこおるんやろてなりますよ。

もしくはキャバクラのお姉ちゃん扱いですよ。ちやほやされるかもしれません、女の子として。でもそんなこと望んでないんです。女の子じゃなくてひととして認めてくださいって、言い始めたものなら、たぶん干されますね。かわいくないから。顔がうんぬんじゃなくて、愛嬌がないから。女子のとげとげとか、一番嫌いなひとたちですから。知らんけど。

女子の生態わからんコンプレックスを刺激されるのも認めたくないひとたちですから。愛玩動物としての女子以外に、扱いがわからないから。そもそも女子はひとではないので。男子以外はひとではないので。すみません、ひどいことを言いました。そんな方ばかりではないというのは、もう十分に存じております。でもね、そういう日本の昭和的マッチョな男性社会って、本当に生きにくいんですよ、女には。

だからね。なおさらそこには、女の子にいて欲しいんです。女の子じゃなくてもいいです。そこに昔から居続けて、そこにこれからも居続けそうなひとたち、以外にいてほしいんです。おばあちゃんでもいいです。幼稚園男児でもいいです。ローマ人男性でもいいです。でもローマ人に突然たくさん入学してもらうのは難しいでしょ、だからとりあえず女子なんです。そうしたら、ちょっと違う風が吹くんですよ。違う風が吹いたら、そこに溜まりつづけていた埃がはらと動いて、こここんなにも埃積もっていた、知らなかった、掃除しようかってなるんですよ。しめきっていた窓が開いて、カーテンが揺れて、ひかりが流れて、何か違うものがそこに生まれたりするんですよ。

たしかに本当は、そういう女子枠とか設けずに、自然にそうなっていくのがいいのかもしれないけれども。でもね、ゼミの扉を開けた瞬間、男子ばかりの集団がこちらを、ぬ、と振り返ったら、「間違えましたー」って扉を閉めたくなるでしょ。怖いもん。だから最初は、ちょっと強引にでも男子以外を増やしてみましょう、そういう枠なんだと思いますよ。どの枠でそこに入ってもいいじゃないですか。大事なことは、そこで何をするかということです。

女子が男子より、劣っているとも、できないとも思いません。

知らないひとにあれこれ言われながら女子枠でなんか入りたくないという気持ちもわからないでありません。おなじ「ひと」なのだから。

でもわたしが「ひと」として努力や他の何かが足りなくて選ばれなかったと思っていたたくさんのことに、「女性」だから選ばれなかったということが多々あった。その時は、わからなかった。本当に、本当にわからなかった。なぜ、とも思わなかった。「女性」であることが理由になると、思ったことがなかった。性差のない世界にいたから。

この世界は、もしかしたら、男女で装備がそもそも違っているのかもしれない。

裸足を傷だらけにして、根性でもって、歩けないことはないかもしれない。でもね、そうであるなら下駄ではなくて、靴をもらった、ととらえるぐらいでいいのかもしれないと、思うんですよ、わたしは。靴ぐらい、もらっておいたらいいじゃありませんか。その道を走るのならば。お隣の男性をごらんなさいよ、たぶんもっといい靴を履いていらっしゃいますよ。

怖いだろうか。男性は。守り続けた温かい居場所が奪われていくようで。でも本当は、そのほうが男性にとっても、暮らしやすい世界があるように思うのだけれども。

ライター:神 敦子

神敦子#note#
https://note.com/jinatsuko

Vol.28 「国立大に女子枠が導入されるらしいけれども、女子枠で入ったと思われるのは、嫌なんだ」という女の子におくる” に対して2件のコメントがあります。

  1. 関玲香 より:

    私はずっと共学で、常に男子というものを意識してきたし、女子であることを悪気なく利用して仕事もしてきたくちです。でもそこにあまり疑問を持たない、昭和の価値観に浸った古い人間だなあと、こちらのコラムを拝読して痛感しました。
    嫌な人は嫌ですが、基本、男女問わず好きなんですよね。お互いに悪いところよりもいいところを見て、そこをお互いに正直に賞賛して感謝しあって、気分よく成果出して、世の中回していけたらいいのになあ。

    1. 神敦子 より:

      関玲香さま

      コメント、嬉しく拝読致しました。
      女子校時代、共学女子の器用さを羨ましく思っていました。男子とはうまくやりとりできた方がいいという昭和の価値観が、わたしにもあったように思います。

      毎日本当に暑いですね。どうぞご自愛くださいね。ありがとうございました。

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