Vol.6 びっくり椅子について
脱ぐ。座る。上がる。開く。
という産科、婦人科にある、アトラクションの一種であるかのようなびっくり椅子が、好きじゃない。
といっても、もう四十代もなかばをすぎて、好きだの嫌いだの言っていられなくなり、「よろこんで」とまではいかないけれども、「はいはい、じゃ乗りましょか」ぐらいのテンションで、下着を脱ぎ座って上がって足を開く。
馴染みの先生が、下腹部をぎゅうぎゅうおさえながら、子宮や卵巣のことだけではなく、「岩みたいなうんちが溜まっている」とかも教えてくれるので、便秘解消にいい食べ物やら、更年期に対する心構えなど相談したりする。
初めて座ったのは二十代で、そろそろ自分の体についてきちんと調べておいたほうがいいらしい、という意識高い系でのぞんだ婦人科検診で、その椅子にめぐりあった。
なんだこれは。
この想像をはるかに超えたアクロバティックな動きをする椅子は。
はい、力抜いてくださいねって。
どうやって。この体勢でどうやって力抜けるというの。
座るじゃない。あの椅子は。乗る、だと思う。
椅子は巨大なマッサージチェアみたいなかたちで、左右にそれぞれの足置き場があって、「人」みたいな形に足をゆるく開いた状態になるよう設定されている。
お腹のあたりにカーテンがあって、腰から上と腰から下で視界を区切られているから、向こう側を見ることはできないけれども、それが余計に心細さをあおる。
かちゃかちゃという器具の音とか、咳払いとか聞こえて、誰か、っていうか先生とか看護師さんなのだけれども、いるのだなあ、さっき問診してもらったけれども、そのひとがカーテンの向こうにいるんだろうな、たぶん、たぶんだけれども、だって見えないから、という不安の中、椅子が、歯医者さんの椅子よりももっと高い位置までぐんぐん上昇する。
さらに角度変更、座ったままあおむけの状態へ。下半身に何もつけていない状態というだけで、心細いというのに。
さらに椅子は動き続ける。
左右の足置き場がぐいーんと開いて、解剖前のカエルのようなかっこうを強いられる。
お尻の下の、お尻置き場のようなところがぱたんと下側に倒れて、そんなところも動く仕組みなのかと驚き、カーテンの向こう側のエアコンの風を足とお尻にすうすう感じ、あ、そろそろくる、と構える。
くる、くる、くるぞ、と両手に力をいれていると、本当にぐっと、膣になんだかわからない器具を数回挿入される。
というものです。ご存知ない方のために説明いたしますと。
怖いか怖くないかでいえば、怖いです。
でも、必要な椅子なのです。それはわかっているのです。でも怖いものは怖いのです。
だって怖いでしょう、下半身をあらわにしたまま、地上一メートル以上(体感)の高さで解剖前のカエルの体勢にさせられ、体の内部に何かをつっこまれるというのは、たとえどんな豪傑であったとしても。
診るための椅子なのだなといつも思う。
産婦人科の先生の意見を最大限取り入れました、っていう椅子だ。
はい、足を開いてくださいって言わなくても、機械的に容赦なく、適度な角度で足は開くし。
膣に器具をいれるのに、毎回腰をかがめるのは大変なんだよっていう先生のために、椅子を先生の目線まで上げてみましたっていう椅子開発者の得意げな顔がなんだか見えるようだし。
そりゃあ、わたしだって、診てもらうからには、腰が痛いから適当にしか診られませんでしたっていうのは困るし、診ていただく先生の診やすいようにしていただくことが、めぐりめぐってわたしのためにもなるのだとは十分わかっているけれども、あの合理的すぎるつくりはいかがなものなのだろうか。
あれに載せられるひとの気持ちのやり場というものは、なんらか考慮されているのだろうか。
膝掛けのように下腹部に載せるバスタオルだろうか。
ああ、それはカーテンですよ。ほら、カーテンで仕切られていると、へんに先生やら看護師さんやらと目が合わなくていいでしょ。美容院のシャンプー台で顔にかけられるタオルと同じで。と椅子開発者は言うだろうか。
カーテンではない。カーテンの向こうの先生なり看護師さんなりの、とてつもない努力によってしか、恐怖心は緩和されない。
二十代でびっくり椅子デビューを果たしたら、卵巣膿腫がみつかった。
それが良性なのか悪性なのかわからないから、定期的に来てください、と言われたけれども、もうあのびっくり椅子に乗りたくなくて、長いことうっちゃらかしていた。
そうこうしているうちに妊娠して、総合病院の産婦人科にかかることになった。先生方は誰も彼も猛烈に忙しそうだった。
ある夜、突然膣から出血した。
出産するには早すぎた。お腹の赤ちゃんからの助けてサインなのだろうか。何か、よからぬことの兆しだろうか。わたしは、何かよからぬことをしてしまったのだろうか。不安でばくばくしながら、いつもの病院まで赴いた。
夜遅くて、救急しか空いていなくて、その日の担当は、わたしの担当の先生じゃなかった。
椅子に座っておいてください、と看護師さんに言われて、深夜の静まりかえった、最小限しか電気がついていない、白い灯りが明るいのか暗いのかわからない診察室で、下を全部脱いで、びっくり椅子に座った。
椅子はぐんぐんあがって、あおむけにひっくりかえり、足を開いた。
冬だった。カーテンの向こうで、足とお尻がすうすうした。
わたしはこんなにも準備万端なのに、カーテンの向こうに誰も来る気配がなくて、でもときどき、ぴーぴーという電子音とか、看護師さんが何度か先生を呼び出す声とか聞こえた。
いつまでたっても、先生は来なかった。
カーテンに仕切られた小さな空間の中で、びっくり椅子に座って、天井とカーテンだけを見て、何もつけていない下半身をカーテンの向こうにさらしっぱなしのまま、足を広げつづけた。
もういいです、一旦帰ります、と何度か言いそうになったけれども、わたしの周りに誰もいなくて、看護師さんが来たかと思えば「もうすぐ、先生来られますからね」とさささとすぐに去ってしまい、また取り残された。
突然、カーテンの向こうで、がちゃがちゃと金属音がして、先生が来られたのだろうか、看護師さんが何か用意をしているのだろうか、と思った矢先、誰からも何の声かけもなく、膣にぐっと何か器具を入れられた。
「こんなので来なくてもよかったのに。聞こえましたか。たいしたことないですからね」
カーテンの向こうで知らない声がして、こちらがそれに返事をする間もなく足音が去っていった。
先生は、顔さえ見せなかった。
びっくり椅子が下降して、用意されてある紙でいつもどおり陰部をふき、下着とタイツとスカートを身につけながら、涙がぼろぼろ出た。
カーテンから出たところで、看護師さんが泣いているわたしに驚いて、「赤ちゃんは元気ですからね、大丈夫ですからね」と背中をなでてくれたけれども、不安だったからではない。
わたしはあのとき、ものすごく、ものすごく悔しかった。
悔しくて、泣いた。
声しか知らないあの先生は、男の人で、だからきっとびっくり椅子にあがったことはないのだろう。
椅子の向こうに見やすく設置された「もの」としての膣しか、知らないのだろう。
下半身を裸にして、足をカエルのように広げたまま、たったひとりでカーテンをみつめる恐怖を味わったことがないのだろう。
世界の半分は、椅子に乗る必要もなく、椅子のことを知らないまま、悠々と生きていくのだ。
それが悔しかった。
ライター:神 敦子
神敦子#note#
https://note.com/jinatsuko
びっくり椅子(ネーミングが秀逸!)、座ったことありますか?
必要なものだと頭でわかっていても、あの椅子には未だに慣れません。
そしてあの椅子の向こう側で、こちら側の心に配慮してくださる方がいる。
それだから、必要に迫られるたびにあの椅子に乗れているんだろうと思います。
最近あの椅子に乗ってないな…健診に行かねば。。。