Vol.9 十歳女子の陰毛事情
十歳女子の陰毛事情
毛の話が続いて恐縮ではございますが、陰毛について書きたい。
陰部に陰毛(なぜこんなにも陰という字があてられるのか、ちょっと納得いかないのだけれども、他に一般に通じる呼び名がわからないので、これで)が生えたのは、小学四年生、十歳の時だった。
なぜ覚えているかというと、ふたつ下の妹が、あ、おねえちゃん、毛が生えてる、と無邪気に風呂場で言ったので。なんとなく気恥ずかしくて、それ以来、妹とお風呂に入るのをやめた。母には、ちょっとなんで入ってあげないのよ、一緒に入りなさいよ、とぶちぶち言われたけれども、断固無視した。十歳、女子、そういうお年頃。
妹に指摘されたのは、いやだったけれども、陰毛が生えてきたことについては、別にいやではなかった。
成長過程に伴う体の変化が、すぐには受け入れられないというようなことは、わたしにはとくになかった。性自認と生まれつきの体に、違和感がなかったせいもあるかもしれない。共同浴場なんかで、おとなの女の人にはみんな陰部に陰毛が生えていることを知っていたし、まあわたしもいつか生えるのだろうと、ぼんやり思っていた。え、今なの、もうなの、と驚きはあったけれども、乳房がすこし膨らんできていたから、今だと言われたら今なのですね、とあっさり受け入れることはできた。
むしろなんだか可愛らしいと前向きだった。
生えたての陰毛は、お風呂のお湯の中で、そよそよふわふわしていて、ちょっといいじゃんと思った。性の目覚めというよりは、自分の体の変化への興味、という方が近い。そこに快楽とかは全然なくて、どちらかというと、異世界からものすごく毛並のよい小さいペットが突然やってきたぐらいな。赤ちゃんの産毛、可愛いなあぐらいな。へえ、毛というものはこのように生えてくるものなのか、という過程を楽しむというような。
陰毛についての印象、そよそよ、ふわふわ、である。
それが、である。
初めて会った知らないおっさんに、突然陰毛事情について尋ねられ、驚いたとともにひどく不快になったのである。
わたしの陰毛についての印象が、すべておっさんに塗り替えられたのである。
その年の夏に、父の勤める会社で、会社の敷地に野外ステージを設え、芸能人を呼んで、屋台も並べて、家族の皆さんもご一緒に、ああどうもどうも、と挨拶しながら親睦を深めましょうというどんちゃんしたお祭りがあった。
当時はバブル真っただ中で、そういう浮かれたお祭りが、わりといろんな会社で開催されていたような気がする。
どうせ美味しくないから、とかいうよくわからない理由で、屋台の食べ物は、あまり買ってもらえなかったけれども、子ども向けのヒーローショーがあって、ショーが終わったあと、疲れてぐだぐだになったヒーローに、他の知らない子どもたちと絡んで遊んだのが楽しかった。
ショーで使ったダンボールの小道具をヒーローにもらって、ほくほくしながら両親のところに戻ったら、そのおっさんがいた。
透明プラスチックのカップにビールが入っていて、それを持った、赤い顔をした、ちょっと小太りの、そしてちょっと頭の薄いおっさんだった。
父がおっさんに、「娘です」と言う。おっさんは、「へえ、いくつ」と問う。おっさんは、父ではなく、わたしに問うているようだ。これは、しっかりした受け応えで、九歳とは違うところを見せ付けなくてはと思い、最大限大人びた声を作って「はい、十歳になります」と返した。ら。おっさんから「もう、毛、生えた?」と聞かれたのである。ある。あるんですよ、そんなことを言う男性がこの世界には。以下、その品のない男性を、おっさん呼びする非礼を、どうぞお許しいただきたい。さっきからずっと呼んでいるけど。
十歳女子のわたしは、ただただ混乱していて、おっさんの言葉の意味を考えた。
「もう、毛、生えた?」の「毛」はおそらく、陰毛をさすのだろう。髪の毛なら、生えたかどうか、見ればわかる。
問題は、なぜそんなこと聞くかだ。
なぜわたしの陰毛事情を、おっさんは知りたがるのか。
これは、「屋台の綿菓子食べた?」ぐらいの軽い問いで、初対面同士、会話を弾ませるためのちょっとしたとっかかりなのだろうか。でもなぜ陰毛。屋台の綿菓子のことであったなら、「食べたいんですけど、美味しくないから食べちゃだめって母が」などとボールを返すことができるけれども、なぜ陰毛。「ええ、生えました。おじさまはいかがですか」と聞くべきなのか。そうしたら会話は盛り上がるのか。
聞いたのではないのかもしれない。疑問符つきの言葉だったのに、おっさんはどうも返事を待っていないようだった。なるほど、つまりあれは疑問ではなく、反語であるのだ。毛が生えただろうか、きっと生えたに違いない、とおっさんは言ったのだ。
問題は、なぜそんなことを言ったかだ。
わからん。全然わからん。
そのあとの記憶も曖昧である。
両親が、気まずそうに笑っていた気がする。妹については、そこにいたかどうかも覚えていない。おっさんは、機嫌よく喋って、機嫌よく去っていったような気がする。
ただおっさんからの謝罪のようなものは、全然なかったことは覚えている。謝罪を受けるべきものだと、その時のわたしは思わなかったし、たぶんおっさんも謝る気などなく、両親も謝罪を欲したりしなかった。
それ以降、陰毛を見るとおっさんの「もう、毛、生えた?」発言を思い出した。
わたしの体のことなのに、おっさんの興味の対象にもなるものなのか、興味の対象を、知らないおっさんと、ここで共有しているのかと、げんなりした。
気持ち悪いと思った。
自分の体のこれを、わたしはもう全然好きじゃない、と十歳のわたしは自分の体の変化を思った。
今思い出しても、あの時なんとおっさんに返すのが、正しかったのか、なんと返せば、おっさんは「大変失礼なことを言った。申し訳なかった」と心をこめて謝ってくれたのだろうか、三十年以上たっても答えが見つからない。
ライター:神 敦子
神敦子#note#
https://note.com/jinatsuko
ひと昔前ってこういうおじさんいましたね!
今では完全にアウトだけど。
意外とこういう何気ない一言に、嫌悪感を抱いたり、傷ついたり、コンプレックスになったりってことありますよね。
性の話題は個人によって感じ方が違うからこそ、相手との信頼関係が大事だし、お互いへの配慮も必要だなと思います。